2013年09月16日

名もなき毒

名もなき毒 (文春文庫) -
名もなき毒 (文春文庫) -

 同名のドラマの原作で、会社員・杉村三郎を主人公とするシリーズの第二作。ドラマの前半は第一作の『誰か』なので、ドラマを切欠に読もうと思った人は『誰か』から読まれることを薦める。さて、この『名もなき毒』だが、些細な不満もないわけではない。宮部みゆきさんは、登場人物に解釈をさせ、出来事の意味を示唆することが多いと思うのだが、私としては、奈良和子が自殺した理由が釈然としないことや、外立君が犯した殺人が、無差別だったのか、それとも古屋明俊氏を狙ったものだったのかが良くわからなかった。それでも良いのかもしれないが…

 「奈良和子の自殺は、単純に、奈良和子が犯人である可能性を示唆し、読者を惑わす手段だったのか、読者の古屋暁子に対する嫌悪感を募らせるためのものだったのか?」もちろん物語を楽しんでいる時は、こんなこと考えていないのですが、しばらくすると著者の意図が気になってしかたがないのです。

 改めて『名もなき毒』を手にとって、宮部みゆきさんが、杉村さんに託した素敵な想いを発見しました。「人は皆、幸せの最中にあるよりも、これから幸せがやってくるという確信と期待に満ちたひと時こそ望むものではあるまいか。」というものです。そうですよね。「幸せがやってくるという確信と期待に満ちている時」人は、逞しく生きられるし、人に怒りをぶつけることもないわけです。人々が「幸せがやってくるという確信と期待」を持てる社会にしたいですね。

 原作では、外立君、秋山さん、杉村さんを乗せて走り去るタクシーを追う、萩原社長の様子は、あっさりとしているが、ドラマは、でんでんさんの演技が素晴らしくテレビの画面が霞んだことを思い出した…

 改めて読むと宮部みゆきさんは、やっぱり凄いですね。外立君が源田いずみに語りかける〜秋山さんが杉村さんを押さえるまでのくだりは、映像で観たことがあるからかもしれないが、素晴らしい描写力だと思います。

 杉村三郎が事件を解決する過程を辿ると、名探偵の条件とは、事実から推理する力や心理を分析する力では無くて、真相を知りたいという探究心なのではないかと思います。

 痛みを共有することは難しいかもしれませんね。痛みを共有するためには、相手の痛みを自分自身の境遇に置き換える必要があります。それは、思考ですから、推察するという表現が適切だと思います。2006年『白夜行』がドラマ化された時に東野圭吾さんの作品を読んだ後、しばらく小説を読んでいなかったんですが、昨年の7月から半年間小説を読んできて、今では、「小説家とは、人の心を描写する画家なのではないのか?」と思う程に嵌っています。

 言葉だけの世界って、不完全だと思うんですよね。でも、だからこそ、著者と読者の共同作業が成立すると思うんです。読者の中で、著者が予想もしなかったキャラクターが完成し、物語が生成される。それが、小説の素晴らしさなのだと思います。そして、その小説の世界に一人でも多くの読者を招き入れるために、ドラマや映画が何らかの役割を果たしてくれることを願います。

 私が久しぶりにミステリーの世界に帰ってこれたのは、昨年の7月にNHKによってドラマ化された池井戸潤さんの『七つの会議』を観たのが切欠だからです。この『名もなき毒』も『半沢直樹シリーズ』も『隠蔽捜査』も、比較的原作に忠実で、映像化によるメリットも活かされていますし、俳優さん達も熱演しているので好感を持っています。

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posted by 飛べないカカポ at 00:00| Comment(0) | 宮部みゆき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする